オチボ新聞
己の中の不毛の地を耕す。
人生には、自分の居場所が「何にもない、不毛の地」と感じる瞬間があると思います。
私にも、まさにそう感じた時期がありました。経営していたお店を閉めざるを得なくなったとき、すべてが終わったように思えました。自分を責め、未来を想像することすらできず、ただ目の前の現実を受け入れるしかない。そのときの私にとって、人生はまるで一片の緑もない荒れ地のようでした。
しかし、そんな私にとっての希望のヒントとなったのが、ふるさと十和田市の歴史でした。
十和田市は、もともと十和田湖の噴火による火山灰に覆われてできた台地で、三本木原と呼ばれるだだっ広い不毛の地でした。三本木という名は、遠方からも良く見える根元から三本の太い枝に分かれ「白たも」の木があったことからひたすら広い平地で。 農作物は育たず、誰もが「この地で生きるのは無理だ」と思った場所です。ですが、明治の開拓者たちはこの地を諦めませんでした。数々の試行錯誤を経て、土壌改良に取り組み、少しずつ耕し、実り豊かな農地を作り上げていったのです。
その歴史に触れるたびに思うのです。「どんなに厳しい土地であっても、諦めずに耕し続ければ、必ず花が咲く瞬間があるのではないか」と。私の人生も同じだと気づきました。不毛だと思ったその場所こそ、耕しがいのある土地だったのです。
とはいえ、最初の一歩を踏み出すのは簡単ではありませんでした。
経営者としての失敗は、自分のプライドを深く傷つけました。それでも、焦らずに「小さな一歩」を意識しました。新しいスキルを学ぶこと、人の助けを求めること、自分の得意なことを再発見すること。その一歩一歩が、私の人生を少しずつ再び耕し始める力となったのです。
この経験を経て、私は一つの確信を持つようになりました。
どんなに辛い状況でも、私たちはその中に「耕せる地」を見つけることができる。それは、過去の失敗から学ぶことかもしれないし、新たな挑戦をすることかもしれません。私たちの人生には、誰にでも自分だけの「突破口」があるのです。
振り返ると、あの時の荒れ地だった人生は、今では少しずつ色づき始めています。まだすべてが緑に覆われたわけではありませんが、確かな手応えを感じています。そして、同じように人生の荒れ地で立ち尽くしている人がいれば、私はこう伝えたいのです。
「焦らず、まずは深呼吸して、自分ができる一番小さな一歩を踏み出してください。そして、必要であれば誰かの力を借りることも恐れないでください。不毛の地にも必ず耕せる場所があり、そこには未来の実りが待っています」と。
私たちの人生は、自分自身の手で耕し、作り上げるもの。
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