「変身忍者 佐藤豪」——そのステージネームを彼につけたのは、私だった。
私が企画した今はなき私の店boxinglee’s cafeでの
ライブシリーズ「新東京歌謡プロレス」で、
彼は初代、そして第3代チャンピオンとして、
誇りを持ってチャンピオンベルトを巻き続けた。
後に私の店が経営不振で閉店してからも、
彼は他のどんな店やステージでも、そのベルトを巻いて現れた。
彼は他のどんな店やステージでも、そのベルトを巻いて現れた。
ある時、言葉の行き違いから仲違いし、連絡は途絶えた。
それでも、ベルトは彼の腰に巻かれ続けた。
それでも、ベルトは彼の腰に巻かれ続けた。
そのうち私は東京を離れ、
山形の山奥の宿泊施設で支配人として働くようになる。
SNSの向こうから、彼の姿だけは時折見ていた。やがて、彼が癌を患ったことを知る。病状は深刻に見えた。
それでも彼はベルトを巻き、ステージに立ち、ギターをかき鳴らし、
唄い、吠え続けた。エンディングはいつだって、
ギターを抱えたまま後方に倒れ込むブレインバスターだった。
山形の山奥の宿泊施設で支配人として働くようになる。
SNSの向こうから、彼の姿だけは時折見ていた。やがて、彼が癌を患ったことを知る。病状は深刻に見えた。
それでも彼はベルトを巻き、ステージに立ち、ギターをかき鳴らし、
唄い、吠え続けた。エンディングはいつだって、
ギターを抱えたまま後方に倒れ込むブレインバスターだった。
彼の奮闘を見ながら、私は思った。
「お礼をしなくては。」
最初は言葉や贈り物を考えた。
が、ふとプロレスラー天龍源一郎の、
かつてのインタビュー記事での、誇り高き言葉を思い出した。
が、ふとプロレスラー天龍源一郎の、
かつてのインタビュー記事での、誇り高き言葉を思い出した。
「プロレスラーへの報酬は、ギャラではなく、ファイトマネーと呼んでほしい」
そう、そのとおり、変身忍者 佐藤豪の命懸けの奮闘には、
現金を謝礼として渡すべきだと思った。
現金を謝礼として渡すべきだと思った。
やがて東京に戻る日が来た。
その日の仕事を終え、彼がトリで出演するライブハウスへ向かう。

ブレインバスター!
店の入り口に到着したとき、ちょうど最後の曲が鳴っていた。
ラストのブレインバスターで倒れ込み、拍手が響き、ステージが跳ねる。
彼が立ち上がる頃、私はステージに歩み寄った。
十年以上ぶりの再会。言葉はなかった。ただ目を合わせ、私は、茶色い封筒を差し出し、一言だけ言った。
十年以上ぶりの再会。言葉はなかった。ただ目を合わせ、私は、茶色い封筒を差し出し、一言だけ言った。
「お守りだよ」と。
ボールペンで「ファイトマネー」と書かれた封筒。
中身は、当初の予定よりゼロがひとつ少ない現金と、
代わりに山形出身の写真家・土門拳の写真一枚。
鼻水を垂らし、大泣きする少女の写真だった。
——「これっぽっちでごめんな」という想いだった。
中身は、当初の予定よりゼロがひとつ少ない現金と、
代わりに山形出身の写真家・土門拳の写真一枚。
鼻水を垂らし、大泣きする少女の写真だった。
——「これっぽっちでごめんな」という想いだった。
しばらくして、佐藤豪から封書が届いた。
中には手紙とCD。収録した新曲のタイトルは、「ファイトマネー」。
中には手紙とCD。収録した新曲のタイトルは、「ファイトマネー」。
私は負けた。完膚なきまでに、ボロボロに。